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![]() 照明器具の「HONO」です。フッと息を吹きかけるだけで、本当の蝋燭の炎のように、消えます。 すごいハイテクの技術なんだけれども、なんだか人間の行動を促すような、温かみがあります。 ![]() 画像のように、子供には、本物の蝋燭なんかはやけどの恐れがあるので、いいかもしれないですね、、、。でも、子供だと噛みそうですね(汗)。 あと、もしかして、肝試しなんかに使用した時は、「わぁー!!」と驚いたとたん、息もでるので、フッと明かりまで消えたら、更に怖いですよね(笑)。 それから、手の力の弱い人など、少しのスイッチを切り替えするのも難しいハンデのある人など、この商品をもうすこしユニバーサルな視点で改良(持ち手とか、、あと価格)したら、もっと沢山の人に役立つ商品になると思います。 ユニバーサルな商品が、使いがっても、デザインも、価格もよくなるように、企業も力を入れてほしいです。高齢化社会なので、綺麗ごとでなく、その理念がこれからの社会の"Pay"できる商品の重要な要素だと思います。 |
![]() 「昭和の無責任男」植木等さんが、お亡くなりになられたんですね、、。植木さんといえば、喜劇なのですが、私の中での喜劇というと同時期に活躍された、藤山寛美さんです。 前回のバトンのコントで、思い出したのですが、つれあいが夏頃ずっと観ていたのが、このDVDです。時々一緒に観ていましたが、私は子供の頃から、寛美さんの舞台のTV放送が、大好きでした。 関西では、吉本新喜劇や、宝塚歌劇などの舞台がよくTV放送されていて、寛美さんの松竹新喜劇も、よく見ました。 ハンカチ片手に(最後は必ず泣くので)、見入っていましたね、、、。 今日の新聞でも 「渥美清さんや藤山寛美さんが、涙の入ったウエットな笑いだったのに対し、植木等さんはドライでナンセンスな笑い、彼にしか出せない味があった」 とありました。 私は寛美さんの、わろうて、ないて、又、わろうて、、の舞台が大好きでした。植木さんと、お年もそんなに変わらないんですね。 つれあいは最近まであまり、寛美さんを観た事がなく、改めてこのDVD集を観て 「ええな〜、人情やな、、笑かして、泣かして、、王道やな!」 と、絶賛していました。私は、 「そうやで、子供の時から、寛美さん大好きやったわ。この、柔らかい大阪弁が、またええやろ?」 「ええわ、吉本より、品があるな。人情感じる大阪弁やわ。」 と、話していました。 このDVDの紹介文にもありますが 「競争に勝つこと、お金をもうけることなどが人の価値の尺度となっている現代社会で、もっと大切なことがあると気付かされて胸の奥がジーンと熱くなります。」 まさに、2007年現代にも通じます。 現在は、娘の藤山直美さんのNHKの「芋たこなんきん」も、評判ええそうですねー。直美さんも、時々バラエティーでてはりますけど、おもろいですよ!演技力も確かで、血は争えませんね、、。 「人を泣かすことより、笑かすことのほうが難しいねん。」 誰か芸人さんがゆうてましたけど、”笑い”は奥が深いんですね、、ホンマそうかもしれないですね。 ***************************************************************** この記事には関係ないのですが、子供の頃、宝塚歌劇もよくTV放送していたと書きましたが、当時は「あ、化粧の濃いおねえちゃんらが、歌って芝居するんやな。」ぐらいにしか思っていませんでした。でも、ある時、宝塚のある方を観て、TVに釘付けになりました、、、大地真央さんです。「あれ、この人、今までの人となにかが違う?なんやろ?でも、むっちゃカッコイイ!!」と子供心に強烈に思いました。その後、大地さんが宝塚の舞台で、ジミーの「理由なき反抗」を演じると知った時は、胸踊りました!舞台もかなり話題になり、赤いジャンバーとジーンズが、素敵でした。私が唯一、宝塚で好きになった方です。 ![]() |
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いつもお世話になっているゆきちさんから、彼氏・彼女バトンがまわってきました!
病み上がりで、ふやけたコメントかもしれないですが(え、いつも?) とりあえず挑戦してみます。 1 頭は良いほうがイイ? 関西で一番人を惹きつける要素は、「あたまええ」とか「リッチ」とかより、「おもろいんかい」ですね。「頭の回転が速くておもろいひと」かな?「頭が良い」のは「頭の回転が速い」と私的には近いです。頭良くても、おもろないんは魅力ないですねー、、と、知識とか学歴でなく、ホンマ頭良い人は、人の気持ちを推し量れる人やと思います。私の場合、5の項目ともかぶるんですけど、、。 2 スポーツ万能な人がイイ? んー、あんまりこだわらないです、、。そういえば、BBMでもヒースは馬の乗り方とか、かっこよくてスポーツできそうでした!ジミーもスポーツ万能で、バスケット部主将だったらしいです。 3 料理は出来た方がイイ? ![]() ![]() ![]() いい男は料理もデキる!、、かな?ヒースもジェイクも実生活でも、料理出来るそうなので、すごいですね。男女関係なく、最低限はできたほうがいいでしょうね、、、。 4優しい人がイイ? あらかさまに、優しさを前面に出してるのも、アヤシイ感じが。人知れず誰わけへだてなく、優しい行いが自然にできるひとがいいです。 5 面白い人がイイ? これは1ともかぶるのですが、面白い会話が出来る人って、ひとりよがりの会話でなく、人のことも考えながら、まんべんなく話題をふれる頭の回転の速い人だと思います。面白い?で思い出したのですが、つれあいは、若い頃、お笑いのシナリオライターになりたくて、シナリオ学校に通ってました。落語も大好きです。で、現在のような第2次お笑いブームの前のことでしたので、現在の若手お笑いにも、手厳しいです。 そんなつれあいが最近受けたのが、なだぎ&友近のビバリーヒルズ青春白書のコントです(笑)、これ、吹替えのオカシサをオーバーに表現してて、かなりおもろいです。 6 強い人がイイ? 腕力とかは、あんまり?精神的に強い人もいいでしょうが、、。 7 気が利く人がイイ? 気が利く人って、精神が細やかな人ですよね。普通でいいです。 8 お金持ちがイイ? お金はありすぎても、本人も周囲も狂わせるものです。NO。お金ウンヌンより、人と比べることなく目の前にある幸せを大切にしたいです。 9 オシャレな人がイイ? これも程度ですね。普通に清潔感があればいいです。 10 歌は上手な人がイイ? 私が音楽オンチなので、全く気になりません。 11 ダンスは上手な人がイイ? ![]() このように、素敵にリードしてくれたら嬉しいでしょうね。でも、ダンスが出来る人って、あんまり聞いた事ないです(笑)。 12 貴方はお姫様、王子様扱いされたい派? 中間子なので、どちらともいえないかな、、? 13 貴方は引っ張ってほしい派? これも、どちらとも、、つれあいともどちらが引っ張るでもないと思ってるのですが、つれあいいわく「全部イニシアティブを握ってる!」そうです? 14 レディファーストをどう思う? レディファーストより、もっと広い意味での弱者に優しい社会であってほしい。この呼び方も、男女間だけのものなので、もっといい言葉や行動が、社会に広がればいいと思う。 15 カッコイイひととカワイイひとならどっち? 両方の要素を、まんべんなく持ち合わせてる人? ![]() 16 タバコを吸う人はOK? 私も家族も吸いませんが、煙はやはり苦手です、、でも、私の一番好きな女優マレーネ・ディートリッヒは、煙草の煙が似合ってました。 ![]() 女優カテゴリーの最初にディートリッヒと思っているのですが、、。 17 お酒を飲む人はOK? OKです。羨ましいです。 18 ギャンブルをする人はOK? 激しく、NO! 19 浮気は許せる? んー、事実なら、、ENDです。 20 Sの人とMの人ならどっちが良い? 人間どちらにも転びそうな気が、、高圧的な人は苦手なので、まだM。 21 好きなタイプをアニメ、ゲームのキャラで例えると? 子供がTVで何回も再放送を観ている「幽々白書」?だっけ?の 「くらま」。「妖狐くらま」に変身した時が、さらに素敵です(笑)。 22 好きな人が2人出来ちゃったなら、貴方ならどうする? 同時に2人好きになれるほど器用でないです、、。 23 オタクな彼氏、彼女はありえる? 誰でも、好きな事を追求してたら、その分野ではオタクっぽくなるのでは?問題なし。 24 次に回す人は? 私の場合、本当に次に回せないので、持ち帰ってもらっても、好きな番号を、ここで答えていただいてもいいですよ!ゆきちさん、こんな感じですが、、、どうでしょうか?(下の画像のジェイクもゆきちさんに聞いてます(笑))。 ![]() (本当は記事に関係ないですが(笑)、消すのがおしいセクシージェイク再び、、、) (追記) すいません、自分の病状回復後、つれあいのタミフルが気になり、ほとんど、つきっきりでしたので、TVも見ず、先程新聞を何日かぶりに開いたら、石川県のほうで大きな地震があったんですね、、、。知りませんでした。地震の怖さは、阪神淡路大震災で体験しています。 このFC2ブログは読んでいただいてる方の都道府県がでるのですが(都道府県の統計で詳細は分からないのですが、、)、石川県の方がいてはったと思います。どうか、ご無事であることを、心から祈っています。最近、プレートがやはり動いてるんですね、、。本当に恐ろしいです。 |
![]() 最近、モロモロ重なり、、、、 、、。気分転換に、アロマか、お香を焚いています。 (右がアロマポットで、左がお香。香りが違うので、同時には焚きませんが、、。) スタンド等の間接照明だけにして、お香などを焚いて、ボ〜っとしてから、ストレッチなんかをします。 お風呂なんかも、ゆっくりはいれなくバタバタなので、家族が寝静まってからコソコソとお香を焚いてます(汗)。 なにか、もっといいリラックス法があればいいのですが、、 バトン記事、ゆっくり考えて書きたいので(私のは、たいした内容でもないけど(汗))、もう少し後で、、す、すいません、、。 |
![]() 「三島由紀夫映画論集成」山田由紀人編(平岡威一朗、藤井浩明監修)です。三島さんが、昭和20年代の映画や俳優ついて、論じたものを集成した本です。 かなり分厚い本なので、海外編と日本編と2回にわけて、紹介します。 以前三島さんがジェームス・ディーンについて語っていたと、情報を頂いたのですが、載っていました!それも、かなりのページに渡って、ジミーのことを語っています。(この情報を頂いた、あきさんに感謝です!) まず、ジミーについては、対談形式で「エデンの東」についてふれています (三島) 「学生時代、芝居をやった経験にある人は覚えがあるだろうが、手に困るでしょう。ところが、ジェームス・ディーンなんかを見ると手足がじつに自由だね。それは運動をやっていたせいもあるんだ。 中略 それから懸け方が素敵だね。動きが非常にきれいですね。」 対談相手の方が「モンゴメリークリフトに似てると思いました。」 に対して三島さんは (三島) 「憂鬱なところがね。 中略 モンゴメリーの映画を見ていると腹が立ってくるの。じりじりしてきてね。あまりに頑張ってるでしょう、殻に閉じこもってね。ディーンのほうはそういう不自然さはないや。」 (対談相手) 「モンゴメリーは女の人とお話しているときでも、どこを見てるのか分からないみたいね。ディーンのほうは少なくともその人を見てる・・・・。」 (三島) 「性格的に受身でも押し通せる奴がいるだろう。モンゴメリーはそういうものの代表だよ。 中略 女の人がいいという映画は、たいてい受身ですよ。2枚目はたいてい性格的に受身ですね。だから、ディーンを見たあとじゃ、当分、恋人と逢っても駄目ですね(笑)。」 モンゴメリーとジミーはよく比較されていますが、モンゴメリーのほうは、つかみどころのない孤独を感じます、、ジミーが動的孤独なら、モンゴメリーは静的孤独でしょうか。モンゴメリーは、事故で顔を負傷されたんですよね、、。 次に「夭折の資格に生きた男-ジェームス・ディーン」という題で 「人生は、美しい人は若くして死ぬべきだし、そうでない人はできるだけ永生きすべきだろう。 中略 ギリシャ神話のアキレスは、名誉なき長寿か、名誉に輝く夭折か、どちらかの人生を選ばされて、躊躇なく後者を選んだ。人生のはじめにこの二つを選ばされれば、よほど散文的でな男でない限り、後者を選ぶに違いない。 自分の生涯を詩に変えること、これは誰の胸底にも潜む願いで、アレキサンダー大王も、二十歳そこそこの自分の肖像しか決して作らせなかった。 中略 アレキサンダー大王が、アキレスに心酔して、一から十までアキレスに倣おうとしていたのは有名な話である。彼も夭折の願望を抱いており、かつ自分が夭折にふさわしいことを知っていたのである。 中略 ディーンも亦、自分の悲劇的な死に「宿命的な憧憬」を寄せていたにちがいない。そしてそれは完全に成功したのである。 中略 彼のもっていた多少衆にすぐれたセンシティヴネス、その動揺しやすい青年前期の典型的風貌、多少の神秘的性格、神経質な若い獣の身振り、傷つけられたような腕の振りよう、暗いあどけない微笑・・・こういうものはその迅速な死がなければ、確実に色褪せる筈のものであった。まして彼の職業は、俳優、それも映画俳優、という難物的職業の最たるものであった。個人芸術家のような徐々たる自己形成がどれだけ彼の未来に約束されていただろう。約束されていたのは、確実にやがて汚されるということだけであった。」 この辺り、三島さん自身もかなり、夭折に憧れをもっていたのでは、、、と思われます。この部分以外も、ジミーに関する記述はかなり多かったです。 次にアラン・ドロンのことについてですが、ドロンのことは演技というより、私生活のことに触れています 「ついに全女性の憧れの的、アラン・ドロン君も結婚しました。花嫁ナタリー・バルミテレミィは24歳の子持ちの写真家だそうで、子供は前夫との間にできた3歳になる娘だと云われています。これでロミー・シュナイダーとの世紀の恋は、あっけなく結末を告げました。 右は私がわざと映画界コラムニストの文体で書いたもので、普段の私はこんな阿呆らしい文章は書きません。ただ、アラン・ドロンの場合、彼の一挙手一投足がこういう文体に書かれるにふさわしく、その見かけ本位の文体は、いわば世界的スターという王様の、宮廷日誌の文体です。中略 第一にドロンはナルシストである。これは誰が見てもそういう印象を持つらしいが、私が第一に感心するのは、ドロンがナルシストと云われても、すこしも滑稽でないことである。つまり世界の全部が、客観的に彼の美貌を認めているのだから、もし彼自身が自分の顔がきらいだったら、却って不自然だ、と人に思わせるほど、彼が美男だということです。世間にナルシストは一杯いるけれど、まず”あの人ナルシストですって”と噂されて、笑われないような人間は稀です。つまり彼が、どんな己惚れも追いつかないほどの美貌を持っているのでなければ、ナルシストたることは、第三者にとって滑稽だからです。 中略 しかしこの純粋な肉体ナルシスムも、本来は男のものであることは、ナルシスムという言葉自体が、水に映る自分の姿に恋焦がれて溺死したギリシアの美少年ナルシスから来ている事でも明白です。 中略 そんなドロンにとって、孤独は完全に純粋であり、この世界には、自分以外の人間は本質的に重要でない。何もかも自分一人で充ち足りてしまい、自分の美しさで世界は一杯なのだから、ほかのものは何も入る余地がない。 中略 ドロンの前に現われる女は、世界の美がドロンに占領されているということき気づかず、彼女自身の美もドロンにみとめてもらいたがるだろう。しかしあくまでドロンは美をみとめられる側の人間であって、美をみとめる側の人間でなく、そんなことは彼にとって面倒くさくイヤなことにちがいない。ここまで来ると、ドロンの結婚のニュースが又特別の意味を持ってくる。ドロンの結婚相手は、美しいドイツ娘のロミー・シュナイダーではだめで、どうしても性的経験を豊かに持ち、すでに一女の母である、成熟した女性でなくてはだめだということがわかるのです。」 確かに、ドロンの美貌は、ナルシストといわれても納得です。”美をみとめられる側の人間”ですか、、俳優同士の結婚が時として上手くいかないのも、このような感じなんでしょうか、、。又、女優さんが一回りも年上の監督と結婚して、いつまでも美しく、夫婦関係もいいようなのは、この”美を・・”の関係が上手くいっている例なんでしょうね。 映画作品の批評としては「アラビアのロレンス」が興味深かかったです。ロレンスの自伝と映画の内容の相違点を指摘しています。 この年代の洋画でも、私自身が観ていないものも沢山あり、あまり分からない部分もかなりありました(焦)。 次回、日本編に続きます。 |
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昨日の海外芸能ニュースで、ジェイクがヒーローもの?みたいなシリーズにでるかもしれないとのことです。
以前ジェイクは顔が”濃い”系なので、被り物には気をつけないとオカシイ印象になる、、とコメントしたことがあるのですが。 「ディ・アフター・ツゥモロー」の”ほっかむり”は、爆笑してしまいました(笑)。眉毛も濃いし、目元も睫バサバサで愛らしいのに、ホッペは赤くて、、、顔が濃いので余計印象が強すぎて、、。 体格はいいので、ヒーローとしては問題ないのでしょうね。 でも、どうか、被り物には用心してね。 ![]() ![]() 最近のジェイクの画像で、髪型のスタイリングとか眉毛の整え方とか、 かなりいい感じの画像です。 いつも、同じ人がスタイリングしてないのかな? 眉毛とか髪型とかで、時々かなり感じが違うジェイクです、、。 ヒーローもので、ヒースと共演してほしい(願望)。 ![]() (追記) そうそう、この被り物(カウボーイハット)はバッチリ似合ってました ![]() あ、でも私の中で、このカウボーイハットが一番似合う俳優さんは、、、、 ![]() 彼です。 ![]() |
![]() 大エルミタージュ美術館展が、京都市美術館で始まりました。 上記画像の絵画はルートヴィヒ・クナウス作「野原の少女」です。 クナウスの作品は知らなかったのですが、この愛らしい少女の絵に興味を持ちました。 構図は少女が野辺で花を摘むという、単純明快なものです。 しかし、少女の背後に影のかかった木立を配置することで、赤い頭巾や少女の肌の透明感が際立ち、又、野辺の影の位置により、上空の雲の動きまで感じ取れます。 この少女の愛らしいおでこや頬、ぷくぷくした手、、、この時期の少女の愛らしさが暖かい日差しや、花々と共に表現されていて、心和む絵画です。 (なんとなく、”アルプスの少女ハイジ”を思い出します、、ハイジもよく山でお花を摘んでいました) クナウスは風俗画家の巨匠として、幅広い社会層から指示されていたらしいです。写実的で素朴、人間に対する愛情が感じられる作品が多く、この「野原の少女」はそのクナウスの特徴を、よく表わしているそうです。 京都か、、以前ミレーの「春」を観たのも京都市美術館でした。前田健二郎設計の 和洋折衷様式で、重厚です。(東京日本橋高島屋も彼が共同設計者) 時間があれば、、、「野原の少女」を観たいな、、、。 ![]() |
![]() 濃密空間と濃密時間について、少し無理からに、、、感はありますが考察します。 まず、上記画像は千利休作「待庵」です。 中国から入ってきた最初のお茶は、使用人が別室で点てて運んで来る形式でした。しかし、草庵の影響で四畳半茶室が定型として確立するようになりました。 利休は、定型として確立していた四畳半の形式を壊し、 二畳という極限の極小化に挑みました。 極限的に狭くしながら、しかしその中心には”火”がある。 この緊張感や空間の凝縮が、人間の心と心を深く繋ぐ、 茶室空間の真の魅力になっています。 しかし利休の生み出した”詫び茶”は、極小の空間に相手を無防備のまま誘い込みます。 つまり極小であるがゆえに、刀等などを武装したままでは入室できないのです。 茶室では、人間対人間が、精神的に裸のまま対峙します。 このような”侘び茶”の思想から、当時武器を振りかざして権力を握ってきた大名達を、武装解除するわけですから、切腹を命じられたのも、やむおえないことだったのかもしれません。 次にブロークバック・マウンテンのイニスとジャックが、共に過ごせた時間についてですが、 20年という歳月の中で2人が一緒に過ごせたのは、ほんの僅かな、それも人里離れた山中でした。 ![]() ホモビュアが激しい地域だったということもあり、街中ではおおっぴらに会えない2人でしたが、逆に、この”山中”は誰に邪魔されることもなく、2人だけの濃密な時間を過ごせる場所だったのではないでしょうか?まさに、イニスとジャックの山中での時間は、お互い精神的に裸のままだったのかも知れません。 ある説では、常時一緒に生活しているもの同士では、エロティシズムの高揚、愛の極地は決して発見されないとあります。 お互いに仕方なく、このような人里離れた山中の逢瀬にならざるおえなかったわけですが、愛情を確かめあう最高の場所に昇りつめるには、完璧な場所です。 通常の恋人関係で、このような濃密な時間は一瞬かもしれません。 20年に渡り、精神的には限界に達していたジャックとイニスでしたが、この濃密な時間は、誰におかされることも、奪われることもないものだったのではないか、、。 この時間は2人の間での甘美な思い出と共に、極限的に少ない時間でありながら凝縮した時間として、まぎれもない”愛の証”として結晶化したのではないかと思います。 両者の共通項は、”非日常空間” 及び ”火”です。 この”火”というものは、太古の昔から人間と深い繫がりがあるものですが、現在でも焚き火などを囲んで団欒すると、通常より本心が語れるそうです。 炎の揺らめきに、何か人間の心の内を溶かすような作用があるのかもしれません。 (茶室の炉は炭火ですが、極小空間に”火”があるのとないのとでは雲泥の差があると考えられます。) しかし、このようなの空間や時間は、得てして日常生活ではなかなか得られないものですね、、。 だからこそ”貴重な体験”として、心の中に刻まれるのかもしれません。 |
![]() 銀閣寺(慈照寺)は、室町時代足利義政の山荘としてつくられ、のちに寺院となりました。 銀閣寺といっても、銀色に塗装されていたのではなく(木片を採取の結果、歴史的にみても銀の成分は検出されなかった)、金閣寺に対しての銀閣寺という意味あいだそうです。 金閣寺は"華れ”の北山文化の象徴で、銀閣寺は”侘び、寂び”の東山文化の象徴でもあります。 この写真の観音殿は一層目が心空殿とよばれる書院造り、二層目が潮音閣と呼ばれる花頭窓を用いた禅宗仏殿造りです。 金閣寺(鹿苑寺舎利殿)は3層構造ですが、銀閣寺(観音殿)は2層構造です。 さて、この画像の前庭、山のような物が”向月台”でその足元に広がるのが”銀沙灘”です。 まるでモダンアートのようですが、江戸時代後期につくられ、じょじょに形を変えながら現代のような形におちついたそうです。しかし、作者やこの形の意味は不明だそうです。 白砂の造形といえば、龍安寺の石庭が有名ですが、こちらも抽象的かつ象徴的空間で、あまたの解釈(虎の子渡し)がありますが、白砂は海を、石は島や山を見立てているというのは共通した解釈のようです。 銀沙灘においても、砂の表現は水を造形化したものだと思われます。 又、向月台は満月の夜に、この台の頂上に丁度月の位置が来て、地上から照らし返す台だという説もあります。 銀沙灘という海の中に、向月台という幻想的な幾何学的造形物、、宇宙と交信しているようですね。 禅宗寺院では、禅の教義を枯山水に反映させ、庭を掃除しながら悟りの境地へと達する、修行の一環なのだそうです。 この銀閣寺には義政が、茶道、能などの伝統文化を生み出した東求堂があり、この中に同仁斎いう日本最古の草庵風四畳半茶室があります。四畳半というのは、茶室の模範となった空間単位です。 どうして、銀閣寺を取上げたかというと、次回茶室とBBMを絡めた考察をしたいと思ったからです。(え、どんな関係あんのん?ですよね、、(汗))それと、以前から銀沙灘と向月台は神秘的で美しいと思っていたので取上げました。 次回、かなり無理からに感はありますが、、考察したいと思います。 |
![]() 前々回のユーミン記事のコメントレスで、私がもっとも影響を受けた漫画家を、思い出しました。 岩館真理子さんです。 高校時代以降、漫画は読まなくなりましたが、岩館さんの描く少女像が小学期から大好きでした。 岩館さんの描くストーリは、独特です。 可憐な絵とは対照的に、話自体はシュールな家族問題であったり、救いようのないような人間関係であったり。 残酷さを、美しいオブラートで包んだような感じでしょうか、、、。 主人公は髪が長く、ぼんやりとした、アンニュイな美少女が多いですが、 この岩館さんの主人公像を”甘美な外観をまといながら自己放棄の欲望が浸透している主人公”という解説があり、確かにどのストーリーも、主人公がなにか積極的に行動するのではなく、淡々と自分の置かれている状況に身をおいているようなお話が多いです。 吉本ばななさんは、岩館さんの大ファンだそうで、吉本さんの小説は岩館作品を小説にコピーしたものだという批評もあるそうです。 吉本作品は「TUGUMI」などの代表作しか読んだことはありませんが、確かに通じるものがあるのかもしれません。 岩館さん自身は、家庭不和で育ったそうで、そのせいか家族のシリアスな関係を、1歩引いたような、霞がかかったような、ぼんやりとした感じで表現されています。 岩館作品に深く共感する人は、同じような家庭不和で育った人が多いと読みましたが、私自身のことに置き換えると、そうかもしれません。 美しく、ぼんやりとした中に描かれる、人間関係の残酷さ、、、そんなところに一番惹かれるのでしょうか、、、。 世代的に、岩館真理子さんを知らない方も多いでしょうね。 最近は、時々しか作品を発表されていないそうです。 ![]() (追記) 以前竹宮恵子さんや、萩尾望都さんも読んだ、、コメントをした事があるのですが、竹宮さんは「風と木の歌」のたぶん1〜3巻をお好み焼き屋?で焼ける間に少し読んだだけで(汗)、、私より少しお姉さん世代の作品かもしれないです。萩尾さんも「ポーの一族」は読んだ事はなく、「半神」という身体の一部がつながった双生児姉妹の作品しか記憶にないんです。 「半神」は、たった16ページの短編ですが、読んだ当時号泣しました、、、凄い衝撃で記憶に残っています。以後、野田英樹さんが「半神」を舞台化されていました。姉妹、兄弟なら誰でも根底に持っているような要素を表現している秀作です。 ![]() 漫画作品は、世代が少しずれると、記憶に残る作品も違うのかもしれないですね、、。 |
![]() よく考えたら、映画はBBMの記事しか書いてないですね(焦)。 最近観たのは、ヒース主演の「カサノバ」です。 ストーリは、伝説のプレーボーイのカサノバが、1人の女性を愛してしまう、、実は、その女性は中世の女性の閉塞的な立場からの開放を訴える作家であった。 全体的に、コミカルで映像も美しいです。ヒースはつくづく時代物の衣装が似合うと感じました。長い手足と、あの肩幅、、どんな衣装でも似合うのかもしれませんね(溜息)。 フランチェスカ役のシエナ・ミラーは初めて観ました。勝気な女性役が似合っていましたが、、口元の印象のせいか、時々すごく年いった感じに見えました。 もう1人のカサノバに恋する女性は、猫顔ですね。 陶器のように透き通った肌が印象的でした。 あと、ジェレミー・アイアンズは、どんな衣装でも独特の”品”があります。そして瞳がどうしてあんなに潤んでいるんでしょうか?役柄は意地悪な感じなのに、あのように振舞うのはなにか深い訳があってやむおえないんだ、、とかストーリーと関係なく妄想してしまいます(汗)。ラストのどんでん返しも、安心して観れる楽しい作品です。 舞台のヴェネチアは、建築探訪旅行で訪れましたが、バロック建築のサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会は映画中でも出てきていました。 ![]() ドームの外観もとても美しい教会で、ヴェネチアの灯台のようなランドマーク的建物です。 ヴェネチアは街全体が観光地なので、とても幻想的でした。「水の都」といわれるだけあり、親水性を感じました。かっては大阪も「水の都」といわれるぐらい運河が開通していたので、そのせいか親しみを持ちました。大阪は現在では、中ノ島辺りにその名残が残っていますが、、。 現在はゴンドラは観光用にしか使われていないそうです。 ヴェネチアに来たら、ゴンドラに乗らないと来た意味がない!、、と さぁ、ゴンドラに乗ろうとしたのですが、友達のKさんが 「ゴンドラ漕ぎはイケメンでないと、いやや!」と港で1時間粘って探しまわっていました(笑)。下記画像が、Kさんが見つけたゴンドラ漕ぎの青年です ![]() ↑Kさん ↑私 ゴンドラ漕ぎは、船を漕ぎながら歌を歌ってくれるそうで、そのせいか中年の体格のいい男性ばかりでした。(オペラ風?) この方は珍しく若く、だからなのか、歌は歌えないようでした(残念)。 カサノバ邸の下を通過する時は「ここがカサノバの家だよ!」と解説してくれてました。 もう大昔のことのようです。この旅行のために何ヶ月もバイトしました。学生最後だから可能だったんですね、、、海外なんて、現在はとても、とても無理ですね(悲しい現実、) ![]() |
![]() 「花空庭園」(荒俣 宏)です。この本も秋頃読んだのですが、前回の桃の花の話で思い出しました。荒俣氏セレクトの多彩な植物の美しい手彩画と、歴史、文学に現われた花の説話などが収録されています。 以下抜粋 (薔薇) 紅薔薇はあしもとに (薔薇紅くその純金の髪毛のなかに) ああ その胸とその帯とのあふところ 紅き薔薇ぞ秘められたる <オスカー・ワイルド「王妃の愁ひ」より> 「上を向いて花弁を開くので、ユリのように下を向いたり、ジギリタスのように下へ向きながら突然頭をもたげなおすという、もってまわった咲き方をしない。その素直さが、人々に好ましい印象を与えるらしい。」 (アザミ) 路傍に旅人の心を 悲します枯れた あざみのうす紫の夢の ようなものが言葉につづられる どこかの国の夕日の空に たとえたのはキツイというひとの 思い出であった <西脇順三郎「あざみの衣」> 「たとえばアザミは、その棘で人々や家族を守護する。昔デンマーク軍がスコットランド軍に夜討ちをかけたさい、アザミが兵士の足を刺して声をあげさせ、侵入を防いだ説話は名高い。」 (菊) 寂しさに秋成が書読みさして 庭に出たり白菊の花 <北原白秋「雲母集」> 「上田秋成の”雨月物語”を暗誦してしまえるほど愛読したのは、もう四半世紀も前のことになる。なかでも”菊花の契”が好きだった。 中略 菊花は重陽の節句に、酒に浮かべて飲む。邪気と病気を払い、不老長寿を得る霊薬中の霊薬といわれる。」 どのページをパラパラと開いても、豊富な図集と聞いた事もない説話など、気軽に読める本です。 荒俣氏は多彩な知識で、話が色んな方向へ飛んでいく感じはありますが、、、。 最近は「トリビアの泉」にも出演されていましたね。荒俣氏の話は本当に”へぇ〜”って感じです(笑)。 私が興味を持つ事柄を調べていると、時々、荒俣氏が出てくるので驚きます。 貪欲に、多方面の分野に詳しい方ですよね、、。 |
![]() 今日は桃の節句、雛祭りですね、、自宅でも毎年飾っています。 ![]() 木目込み雛という、丸顔で普通よりかなり小さいサイズのお雛様です (普通サイズの7段飾りより全体がとても小さく、又、 華やかなわりには木目込みは安価です。) ![]() あれ、でも昨年となにかが違う、、、、、 少し、寄って確認してみましょう、、、、。 ![]() ![]() や、やっぱり(汗)!! (ベタですか(焦))最近見かけないな?っと思っていたら、こんな所に ちょこんと座っていたんですね、、。 木目込み雛なので、たまたま大きさが近かったです。(笑) ![]() 桃の花で思い出しましたが、前回の記事のキーン氏の言葉で 「私は和歌を通じて、梅の花の香りが日本人に何代にも渡って愛されてきた事実を知っていた。 中略 西洋で育った人々は、花の匂いと言えば薔薇やカーネーション のきつい芳香のことを考えるので、梅のほのかな香りを感じる には、ちょっとした努力を必要とする。 しかし、日本人にとっては百合の強烈な匂いよりは、 この捉えどころのない香りを愛でるほうが自然なのだった。 百合の匂いはあまりに強すぎて鼻につき、むしろかすかでは あるが清々しい梅の芳香をよしとしたのだった。」 ![]() 梅の香りがそこはかとなく漂うような感じなのでしょうね。 桃の花と梅の花はかなり似ているそうです。見分けかたはこちらです。 そして、キーン氏といえば「源氏物語」なのですが、 なんと2008年はその源氏の千年紀なんですね、、。 2008年に先駆け、3月から開幕(今月末) 「源氏物語〜千年の時を超えて」 ![]() 多彩なイベント内容です!関西近郊のようですね、、、行きたいな、、、、。 |
![]() 3回目は映画ブロークバック・マウンテンから「4年目の再会Kiss」を取上げます。 このシーンは実際、映画史上に残る名シーンだと思います。 最近のオンラインDVD販売サイトアンケートでも堂々の1位です。 ブロークバック・マウンテンでの放牧の仕事を終え、2人のカウボーイはお互いにそれぞれ家庭を持ち、生活していました。 4年目にジャックが出した葉書で再会するのですが、この再会のKissを、葉書を出した本人のジャックさえ予期していなかったほどの、イニスの熱烈な激しさを帯びたKissです。 このイニスの激情Kissに対して、ジャックの切なくも嬉しく潤んだ瞳が、言葉に表わせない感情を全て表現しています。 ![]() この後、ジャックの押し返したKissの激しさも、かなりのものです。同性であるがゆえ、、、まるで衝突しているような、、、それでいて、留めることの出来ない愛情や、切なさも感じます。 まさに、4年間溜め込んだ情熱と情熱のぶつかり合いのようなKissです。 もし、イニスが友達として普通にジャックを迎えていたら、20年間も交際が続かなかったかもしれません、、、しかし、イニスという人間は行動に計算がなく、時として衝動的です。 そのような時に、イニスの本当の気持ちが現れてくるのだと思います。 アン・リー監督はこの映画を「普遍的な愛の物語」だと語りました。 時に愛情のベクトルは、愛するもの同士でも、かなりの”差”があるのかもしれません、、、同じ値を示す事は”奇跡”のようなものかもしれないのです。 しかしこの瞬間は、もしかしたらイニスとジャックのベクトルは同じ値だったのかもしれない、、、、、と感じるほど、情熱に満ちたKissです。 この後のジャックの手を振り解くイニスの後姿と、取り残されたジャックの横顔が、のちの2人の苦難に満ちた人生を暗示しているようで、寂寥感が湧き上がってきます。 リー監督は「人生というものは、自分の指の間から逃げてしまうことがあるんだ。人生は続いても、愛が自分の指の間から逃げてしまうことがあるんだよ。そういう胸の痛くなる話のことなんだよね。 つまり、しただろうに、できただろうに、するべきだったんだっていう・・・・」 ジャックは再会時に確認した確かな”愛”を、20年間、自分の手から逃げてしまわないように自分の感情を抑え、必死で手放さないよう持ちこたえようとしていたのかもしれません。 対してイニスはその手の中の"愛”にトラウマという膜がかかり、確認さえできていなかったのでしょうか、、、。 確かに、しただろうに、できただろうに、するべきだったんだ、、、。 この映画を観るたびに、自分自身の手の中を、改めて真摯な気持ちで確認したくなります。 写真、絵画、映画と異なる表現の「Kiss」を題材にしましたが、 作品に込められたメッセージも様々であると実感しました。 |
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