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【2008/10/12 09:21】 | | page top↑
2007 マイベストBOOK
去年のマイベストBOOKは、斉藤 裕 著「建築のエッセンス」です。


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斉藤さんの設計する作品も、細部の精度や、材料等の驚くような使用の仕方、、などなど、とても素晴らしいものなのですが、この本を読んで斉藤さんの知識の豊富さに、ただただ、感嘆しました。

とにかに、木材、ガラス、鉄、コンクリート、左官等の知識は半端なものではなく、経験に裏打ちされた確かなものでした。


建築作品を”真、行、草”に例えた解説は、分かり易すかったです。
建築本にありがちな抽象的な表現や、やたら多いカタカナ語などなく、建築に特に興味のない方でも、木材等の部分は直接住宅に関連しますので、退屈しないと思います。
【真・行・草】 (しん・ぎょう・そう)
 元々は書道における漢字書体の真書・行書・草書の総称で、広く芸能・美術に転用されて用いられる理念。真は端正な楷書で正格、草は型にとらわれず自由に崩した風雅な形、行はその中間を示す



もうひとつは宮脇檀建築研究室+山崎健一+中山繁信 著「宮脇壇の住宅設計」です。

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宮脇さんのエッセイは、高校時代から大好きで、かなり読んでいました、、この本の最後の宮脇さんを偲ぶ座談会では、そのダンディでありながら、真剣に、命を削りながら建築と向き合った人柄を知ることができました。

宮脇さんのブルーボックスは、かなり好きな作品です。シンボリックでありながらも過剰でないデザイン力は宮脇さんならではのセンスだと思います。

又、この本では、住宅を立体的に3次元空間で常にイメージした設計プロセスや、住宅から街や都市を捉えていた姿勢もうかがえます。


う、、建築本以外の本が出てきません、、、何か読んだはずなのですが、、、え〜〜〜〜、あ、

近藤勝重 著「幸せの雑学」がありました!!

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つれあいのオススメですが、、、結構読んでいて参考になりました。

去年の反省は、小説などの物語をあまり読めなかったことです。
新聞小説しか読んでないですね(汗)。今年はもっと物語のある作品を読みたいです(反省)。



【2008/01/08 21:59】 | | トラックバック(1) | コメント(8) | page top↑
クリスマスの思い出などなど、、
今日はクリスマスですね。毎年クリスマスというと思い出すのが、「さむがりやのサンタ」という本です。
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確か小学校の時に買ってもらい、ずーっと手元にあり、現在は子供達が読んでいます。
内容は、さむがりやのサンタが、クリスマスイブに世界中の子供達にプレゼントを配達する
お話なのですが、このサンタのキャラクターが爆笑ものです!

とにかく、”フツーのもんくいいのオッチャン”のサンタなんです、、、イブの日の朝に目覚めて

「ああ、またこの1日が来たのか、、やなこった!」

と、ブーブーもんくをいいながら、プレゼント配達の準備をします。
その、あまりに人間臭い仕草に、子供の頃は
「ほんまに、サンタってこんなおっちやんちがうか!」
と思い込んだほどでした(笑)

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漫画のようなコマわりなのですが、絵が美しく、大人が読んでも楽しめる絵本です


************************************

クリスマスといえば、もうひとつ思い出すのが、「フランダースの犬」です。
フランダ0ス1

私は、子供の頃から絵を描くのが大好きだったので、ネロにすごく共感して観ていました。
たしか、クリスマスの夜に、放火のぬれぎぬを着せられたネロが、大聖堂でルーベンスの絵を見て
「パトラッシュ、ぼく、もう、疲れたよ、、、」
と言って、息絶えてしまうんですよね、、、
日本アニメ史に残る、忘れられないラストだと思います。

最近では、米国製作だったか、実写版の映画が出来ていましたが、なんとラストは、ネロの行方不明のお父さんが出てきて、ハッピーエンドで終わるらしいです、、たしかあまりに悲惨な結末が、米国では受け入れられない、、という理由だったとか?

今日の朝刊で、ベルギー人のディディエ・ボルカトールト監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を検証するドキュメンタリー映画を製作したという記事がありました。
この監督さんは、以前大聖堂でルーベンスの絵を観て涙を流す日本人の姿を見かけたことから、この物語に興味を持ったそうです。

原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたもので、欧州ではあまり評価されなかった作品だそうです。 どうして、日本でのみ多く共感を集めたのか?、、、
実は、2年ほど前の記事でも、「フランダースの犬」 の原作の地には、日本人観光客が多く、現地の人達は、どうしてこんなに日本人がこの物語に共感するのか謎だと感じている、、、というのを読んだことがあります。

今日の記事のボルカトールト監督はこの辺りを世界6カ国でインタビューし、
日本人の心に潜む”滅びの美学”が共感を呼ぶのでは
という結論に至ったそうです。
う〜ん、私自身も、米国のハッピーエンドの結末を読んだ時、
「ええ、そんなん、「フランダースの犬」とちがうやんか!」と違和感を感じましたが、、、。

この物語に深く感動するのは、日本人ならではなのでしょうか??
「フランダースの犬」のドキュメンタリー映画も、ぜひ観てみたいです!




【2007/12/25 16:00】 | | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
へんな乗り物
この”へん”な題名に思わず手に取った本、 「へんな乗り物」(へんな乗り物探検隊著)です。
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もう2ヶ月ほど前に返却したので、記憶をもとにこの本に掲載されていた”へん”な乗り物を紹介します。
まず装丁を見て、私が長年憧れている小型自動車のBMW isettaを発見しました!下記isettaです。

isetta250rw01-777.jpg (ドア閉状態) isetta250rw02000.jpg (ドア開状態)

この冷蔵庫のように、ドアが前方でガバッと開いて前から乗り降りするのが、なんともユニークです(笑)    
      (isettaの説明)
イタリア、ミラノ近郊で戦前、冷蔵庫、ラジエーター、ウォーターヒーターを生産していたイソ社(ISO SpA)が、第二次世界大戦後まもなくスクーター、400ccまでのバイク、小さな3輪バンやトラックの開発を始めました。
そして革新的なエンジニア・Mr.Pretiはスクーターエンジンを形を整えた冷蔵庫につなげ、窓や座席などを取り付けた2人乗用の小さな車を提案しました。このコンセプトを元にイソ社は1953年Turinモーターショーに「Isetta」(小さなイソ)を発表しました。その後、またたく間にこの小さな車は市民のタウンカーとしてヨーロッパ内でブーム的な人気を誇るようになりました。


やっぱり、最初は冷蔵庫が関連していたんですね、、納得です。
画像検索していたら、下記のような素敵な画像が、、、
普通の車と違い、2人同時に車の前から降りてこれるんですね(笑)。
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下記も検索で見つけたのですが、牽引するんでしょうか?おもちゃのようにしか見えないです、、可愛い!
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次は、これも小型自動車では有名なFiat nuova500です。
200px-FIAT_NUOVA500L_in_London-12Mar1999777.jpg


  (Fiat nuova500の説明)
フィアット 500はイタリアの自動車製造会社 フィアット(Fiat) が製造・販売する小型自動車である。
1957年から1977年まで生産された空冷エンジン搭載のリアエンジン・リアドライブ車である。正式名称は「FIAT NUOVA 500(新フィアット500)」であるが、一般にはイタリア語で"500"を意味する「チンクェチェント」(cinquecento)の呼称で知られている。
NUOVA 500のころころとした丸みのあるユーモラスなデザインフォルムは、設計者のジアコーザ自身が手がけたものである
また、独特の丸みを帯びた形状は、少しでも軽く仕上げるために、使用する鉄板を減らすべく表面積を減らす意図もあったとも語っている。
日本ではアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督 1979年)がきっかけで、ルパン三世の愛車の一つとして広く知られることになった。


フィアットはこの丸みを帯びたデザインと4人乗りという実用的なところが広く一般に受け入れられたんでしょうね。
ヨーロッパでもよく見かけました。『ルパン三世 カリオストロの城』に出ていたんでしょうか?ルパンの車というと、オープンカーでクラッシックカーのイメージですが、この映画ではFiatだったんですね。

次は日本車のダイハツミゼットMP4です。
tokorozawa201507t287489.jpg

     (ダイハツミゼットMP4の説明)
ミゼット (Midget) とは、ダイハツ工業が造っていた三輪自動車である。ミゼットの名前の由来は小型、チビの意味で付けられた。MP型は、1959年10月新発売。特徴はノーズ部分と一体化されたキャビンで旧型と比べてスタイリッシュとなった。ハンドルは丸ハンドルへと変更され更に運転がし易くなった。車体寸法は全長2970mm、全幅1295mm、全高1455mmと全長と全幅がサイズアップされている。また全車2人乗車可能。


子供の頃は、まだ見かけた記憶があります。八百屋さんの配達の車だったような?3輪というのが子供心に不思議な感じがして、よく見入っていました(笑)。

次は以前さすべえの記事で紹介したBMWのバイクですが、この本にも掲載されていました、BMW「C1」です。
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(以前記事の画像のルイ・ヴィトンとBMWコラボバイク)
zoom@0000016709_0345455.jpg 
(この本掲載の通常のBMWモデル)

      (BMW「C1」の説明)
BMW「C1」は、125ccエンジンを積む「125」と、176ccエンジンを搭載する「200」の2グレードに大別される。“2輪車”であることに間違いないが、ライダー(?)を守る強固なアルミ製パセンジャーセルを備え、ルーフは1.5トンの荷重に耐える構造だという。強化ガラス製ウィンドウシールドには、ワイパーもついている。C1のセリングポイントは、シートベルトを装着することで、欧州各国でヘルメットをかぶらなくても、走ることが認められているという点だ。
しかし、日本ではBMWの主張が認められず、ヘルメットなしでの乗車ができないため、残念ながら輸入されていない。


あ〜、だから日本では見かけないんですね、、ピザ配達のバイクと比べると、明らかにボディが頑丈そうですが、、、残念です。


********************************

(おまけ)

この本には掲載されていないのですが、電車で建築家がデザインしたものが関西ではあります。
南海電車ラピートです。若林広幸デザインです。鉄人28号のイメージらしいのですが、前面の部分がそのように見えるような?

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【2007/09/17 11:11】 | | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
岩館真理子「雲の名前」
岩館さんの「雲の名前」です。
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シリアスな作品が「雲の名前」「夏が来れば思い出す」と、御自身のエッセーのような漫画「綺麗」「パリ旅行記」「ペットでごじゃる」が収録されています。

まず「雲の名前」ですが、長い長い階段のある丘の上に、50代男性漫画家の春彦の家があり、そこにアシスタントとして1人の若い女性似季が雇われます。この家には春彦の息子葉一、姉夫婦、妹2人も住んでいます。春彦の妻は蒸発して行方不明になっています。

実は似季はその春彦の行方不明の妻が、春彦と結婚前に自分の実家に残してきた子供であった、、、似季は、母は行方不明なのではなく、この家の誰かに殺されて庭に埋められているのではと疑念を抱きはじめ、、、、とサスペンス風に話は進みます。

庭を掘り返す中盤は、ハラハラして読みましたが、ラストはどんでん返しがあります。
最後、結局似季の孤独は癒されないのですが、、、なぜだか読後感は重くなく、空のような空虚感が残る不思議な作品でした。


少し丘の上の家が出てくるのですが、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ作品を思い出しました。岩館作品はなぜか洋館のイメージがあります。下記はウィリアム・メリル・ウォーリズの日本に現存している洋館です。
160px-Muroyatei01.jpg  (室谷邸)
800px-Rokko_sanso03s2816.jpg  (六甲山荘)

この作品の家は洋館でもないのですが、家の大きな窓から見える広大な庭など、なんとなくイメージが重なりました。

「夏が来れば思い出す」は、もっとシリアスで救いのない話に思われましたが、この作品もラストは一筋の希望のような終わり方で、けっして悲観的に終わっていなです。

「綺麗」は岩館さん自身のような女性漫画家が、締め切りに追われる切迫感が表現されているコメディのような作品です(笑)。
この「綺麗」は、仕事が片付いたら、散らかった部屋を綺麗に掃除したいという願望からの題名のようです。
特に、下記のシーンは岩館さんならではです、、、

ああ、肉じゃがが食べたい、仕事が終わったらいっぱい作ろう、
1日眠ったらスーパーに行って  いっぱい いっぱい 作ろう
お料理このこと以外なあんにも考えないで

ダイヤモンドリリー、チューリップホワイトドリーミ、
デルフィニュウム・プリンセスコロライン・ル・レーブ、
ブローディア、ネリネ、フリージア、アンジェリック、

好きな花を集めるだけ集めて 肉じゃがのまわりに飾りましょう
          まあ、 きれい 
       」                                                        
20070827105344.jpg (この色の文字がこのページです。)クリックで拡大します

ん〜、とっても岩館さんらしくて、大好きです!

「パリ旅行記」「ペットでごじゃる」は絵柄もササッと軽く描いた作品でしたが、岩館さんのおちゃめさや、猫好きなのが伺い知れて、おもしろかったです。

たまたま夏が主題の2作品が収録されていたので夏場にピッタリでした。久々に、岩館ワールドを堪能できました。




【2007/08/28 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
甲子園から、、「キャプテン」
夏の甲子園の全国高校野球が始まりましたね、、、甲子園といえば野球漫画「キャプテン」(ちばあきお著)を思い出します。
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子供の頃、夏休みになると必ずアニメ放送していたんです、、ですから原作の漫画のほうは読んだことはないのですが、毎年観ていてストーリーが分かっているにもかかわらず、ラストのナイン全員集合でボールをとるシーンには涙、涙で号泣してしまいました。(原作のラストは知らないのですが)。
野球漫画の王道ですよね、、、飛びぬけて才能があるスター選手を描くのではなく、普通の高校生が努力して上達していく、そんなストーリーが大好きでした。

学生時代スポーツをしていた人なら、誰しも共感できるのではないでしょうか?
実は私も中、高校時代はテニス部でした、、、黙々と毎日練習して、挑んだ試合で流す涙は、汗と泥にまみれて見た目はけっして綺麗でないですが、心の底から純粋に流れてくる、その瞬間しか流せない綺麗な涙だと思います。
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実は今回の甲子園、つれあいの母校が初出場
つれあいと年子のつれあいの実兄は兄弟2人共、小学校低学年から少年野球で野球をしていたので、つれあいの実家は甲子園を毎年必ず注目しています。実兄は隣県に野球で進み、毎年甲子園出場の強豪校ですので、今回つれあいの母校が勝ち進めば、初めて兄弟母校対決!になりそうです。

つれあいは息子にも野球をしてほしかったみたいなのですが、、、息子が選んだのはサッカー、しかし息子もこの夏全力で頑張っているので応援してあげたいです。(息子とのキャッチボール用に高い子供用皮グローブを買ったのですが、使わずじまい、、、トホホ。


これから球児達の熱戦が楽しみです!



【2007/08/09 05:00】 | | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
七夕祭り・・その2 本編(銀河鉄道の夜)
七夕祭りその2の本編は、宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」です。
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あまりにも有名な作品ですが、最初の章から”天の川”という言葉は出てきます。
作品中、この天の川は銀河に浮かぶ、"あの世”と”この世”を分け隔てている意味合いと、終盤には、現実世界の”川”が、カンパネルラの命を呑み込んでしまったという、2重の意味があると思います。
(宮沢賢治の作品の解釈は、様々になされているので、もっと深い意味もあるかもしれませんが、、、。)

今回新編を再読して、賢治の紡ぎ出す美しく幻想的な言葉の世界に、深く深く、浸る事が出来ました。
小説などを読むと、頭の中でイメージが膨らみますが、賢治の作品には、その表現の繊細さから、作品イメージが3次元的に立ち上がってくるような気がします。

よく、建築は2次元の図面から成り立ちますが、自分の思考の中では、常に3次元のイメージで創り上げていかなくてはいけないと言います。
小説も”文字”という2次元の世界ながら、表現されているのは、3次元の世界です。
しかし、賢治のこの作品は、その超越した言語表現から、”銀河”という4次元空間までも創りだしているように感じます。
又、この現実世界ではないような、、、、目に見えない世界も表現されているように思えます。
先程の建築の話で、

「3次元の世界に住むものは、2次元をイメージするのは、容易いことだ。では、3次元を容易くイメージできるものは、、、4次元の世界の住人だ。」

という説話を読んだ事があります。「銀河鉄道の夜」を読んでいると、この話が頭をよぎりました、、、賢治はこの超越した世界観から、もしかして4次元の世界の住人だったかも、、という疑念が起こります。

銀河鉄道でのジョバンニとカムパネルラの再会は、ブロークバック・マウンテンの原作の冒頭部分、、イニスの夢中でのジャックとの再会を思い出しました、、どちらも”死者”との”邂逅”が表現されているからでしょうか、、、。

賢治自身、「銀河鉄道の夜」執筆の背景には、妹としの死があったらしいです。

そういえば、昔TVアニメで、ジョバンニとカルパネルラを猫の外見に見立てたものがありましたが、幻想的な映像と共に静かな音楽で、秀作アニメでした。
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【2007/07/05 00:30】 | | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
”時の余白に” 芥川 喜好
私が購読している新聞で、毎回楽しみにしている新聞記者の方のエッセイがあります。

読売新聞の芥川 喜好記者の”時の余白に”です。

もともと芥川さんは、美術記者で、私が最初に芥川さんの記事を読んだのは、確か小学生時の「日曜美術」のコーナーです。
以前記事に書いたミレーの「春」も、芥川さんの記事から知りました。
20070212112358.jpg (これは私の模写です(汗))

もう20年以上も前なんですね、、実は、その新聞記事は、スクラップして手元にあります。
芥川さんの記事は、かなりスクラップしてます。誰に言われたでもなく、気になる新聞記事をスクラップするのは昔からなのですが、建築を志してからは、社会と建築とは切り離せないものですので、様々な分野の記事をスクラップしています。

芥川さんの著書「名画再読」美術館4093860610.jpg

は、未読なのですが、、、この”時の余白に”は美術の話などを軸に、流れの速い世の中で、忘れてはいけないような、とても大切な事柄を淡々とした文章で綴られています。


今日のエッセイの抜粋ですが、題名は”平らに見るということ”で
「現代の人間が平均して70年、80年の人生を生きるとして、その間、けがもせず病気にもならず全くの無傷で通せる可能性は、ほとんどセロに近いでしょう。
生きていればあちらこちらにぶつかりこちらにつまずき、けがもします、病気にもなります、障害も抱えます。何ら特別ではない、普通のことです。にもかかわらず、この社会では病気や障害がまだ極めて特殊なものと見られています。いつ自分がそうなるとも限らないのに、その想像力を欠いたまま、人は病気や障害を『普通でないもの』を見る目で見ています。
街のなかを車は快適に走りますが、車いすには自由はありません。朝夕利用する都営地下鉄の駅は、何十段もの階段を上がらないと地上に出れません。隣の駅は狭いホームの両側に絶えず電車発着する危険地帯です。
ユニバーサルデザイン、などとことさら強調しないと何も始まらない。いかに世の中が『どこも何ともない人』を基準にしてきたか、それ以外の人を排除するように出来ているかわかります。」

とありました。私の母も、よく弟の授産施設の行事で、他の方を介助するのですが

「日本の公共機関や、公共施設、、、なんであんなに使いづらいのん、、スロープがあっても、ほとんど端っこ、、次のスロープは、また反対側の端っこ、、いかに重きをおいてなく、後付けなんか分かるわ。
あんたがもし、公共施設に携わることがあれば、あんな設計だけはやめてや。」

と言われたのを思い出しました。確かにあまりにも、無理解な空間構成が多いです(悲)。以前、海外オリンピック施設設計の番組で、施設計画に最初の段階から、車椅子の方が設計のアドバイザーとして参加していました。その方いわく

「この施設は次に、パラリンピックの方が使用しますが、それだけでなく、施設のバリアフリー化は、お年寄りから幼児まで、全ての人間に使い易いということなんです。つまり、そのことに主眼を置くということはデザインウンヌンの前に、施設の一番重要な要素なのです。」

と語っていました、、、本当にそのとうりだと思います。

芥川さんの記事は、ある若者達の陶芸展に招待された話に続きます。
表現されているものは、人間や動植物など様々なのですが、独創的な形態と確かな存在感に目のさめる思いがしたと、、
東京・南青山ギャラリー「土の花」の展覧会だったそうです。案内状には何も書いていなかった、、、先入観なしに「作品そのもの」に向き合ってほしいという理由です。その若者達は盲学校の生徒だったそうです。
陶芸家山脇道子さんの8年間に及ぶ指導なのだそうです。山脇さんは、

「障害者だから才能があるのでも、才能がないのでもない。求められるのは表現するための日々の努力、その積み重ねなのです。」

そうなんやな、、、そうそう、そうなんや、、、と深く納得してしまった素晴らしい記事でした。全文は載せれませんが、又、芥川さんのこのエッセイが、本になることを望んでやみません。


【2007/06/30 15:00】 | | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
バーバパパ
私が昔から大好きな絵本のキャラクターが、バーバパパ(公式サイト)です。
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バーバパパは土から生まれた生物で、バーバママとの間に、それぞれ特技のある子供達がいます。
向かって左から、バーバズー(生き物)、バーバモジャ(絵)、バーバーララ(歌)、バーバリブ(本)、バーバピカリ(発明)、バーバベル(おしゃれ)、バーバブラボー(運動)です。
(詳細な人物紹介は こちら


私は最初の画像の前で絵筆を握っているバーバモジャが、大好きでした。
絵を描くの大好きで、「あ、私といっしょ!」と思っていました(笑)。


実家はあった本は「バーバパパたびにでる」でした。
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バーバパパは、旅中で車になったり、船になったり、どんな形にもなれるから、子供心にバーバパパって、便利だな、、、と思っていました。
そしてこの本の最後には、なんと7番目の子供もでてきます。


この本の中には、いろんな造形が溢れていて、眺めて楽しい本だと思います。
現在家にあるのは、「バーバパパの知識の絵本シリーズ」ですね、、。
子供に読んでいるううちに、ついつい絵に見入ってしまい、全然読み進めないです、、、(汗)。

絵柄も明るいタッチで、ほのぼのとしていて、大好きなシリーズです。
【2007/06/13 09:30】 | | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「水中の驚異」荒俣宏
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荒俣宏さん編著の「水中の驚異」です。
荒俣さんが、収集した西洋のグラフイック・アートの遺産を発掘するシリーズで「ファンタスティック12」の第1巻が、「水中の驚異」です。

この本の冒頭に、この分野の図像を選んだ理由が記されてます。
「西洋文化の生み出した図像群にあって、いかにも観念的なおもしろさを最後まで保持した水中生物の姿が、われわれには最も興味深い。中略 水中生物の図を眺めることが、なぜ、こんなにおもしろいのだろうか。理由はおそらくふたつ考えられる。ひとつは、水中に棲むファンタスティックな形を備えた無脊椎動物の存在それ自体である。この生物達は古く、ゾーフィト(zoophyte)すなわち動物(zoo)と植物(phyte)の中間種、あるいは合体種と信じられていた。また一部にはサンゴのように鉱物とも混合される例もあって、動・植・鉱三界の特質をひとつの固体に封じ込めた存在とも定義できた。このように奇妙な生物は、水中の無脊椎動物を除いて、他に見当たらない。」

私は高校生の頃に知った、19〜20世紀のドイツの生物学者、エルンスト・ヘッケルにとても興味があり、たまたま荒俣さんがTVで、ヘッケルの事を語っているのを聞いて、

荒俣+水中=ヘッケルでは?

と思い、図書貸出しましたが、ヤッパリ掲載されていました!

エルンスト・ヘッケルの研究した無脊椎動物や、放散虫の素描ですが、注目すべきは研究素描という側面以外に、その素晴らしい美術的側面です。
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ヘッケル著書「自然の造形」の中のページです。美しく編集したものはこちらで見れます。
荒俣さんは、この「自然の造形」の本のことを
「博物学会のみならず19世紀末美術界に甚大な影響を及ぼし、アンドレ・ブルンストをして、これぞシュルレアリスムの巧まざる実作と言わしめた。ダーウィン進化論を深化させたヘッケルの不思議な画才が縦横に発揮された傑作。」と説明しています。
又、下記ページの説明は
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「放散虫と動物性鞭毛虫のなかま。これはなさがら原子模型だ。ヘッケルは海中に漂うこのような奇跡的動物をも、幾何学的な眼差しで捉えていく。」とあります。

この説明文の中にあるように、私が最初にヘッケルを知ったのは、たぶん幾何学関連の本だったと思います。


ヘッケル以外で注目すべきは、下記のブリックマン・Aの論文「ナポリ湾海洋研究紀要」(ウミウシ類の分類論文)の中の、イロナ・リヒター女史の描いたウミウドラでしょうか。
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もうひとつ、レニエ・S・A「アドリア海の無脊椎動物」の銅版画も素晴らしいです。カイメン類ですが、淡い赤で刷った点刻銅版の柔らかさが生かされています。
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最初の説明文の終わりは、「では、そろそろわれわれも図像と共に水中に降下していこう。」と結ばれていますが、本当に水中で、不思議な生物に遭遇したような気持ちになれる本です。

この本のシリーズは絶版で、古書でしか手にはいらないようです(涙)。
(図書館には置いてあると思いますが?)
【2007/05/09 09:00】 | | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
旅の絵本(安野光雄)
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安野光雄さんの「旅の絵本」です。この絵本は、文字は一切なく、その国の建物や名所などが描かれていて、その中にいる馬に乗った旅人を探す絵本です。

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緻密な風景の描写の中に、有名な童話のシーンが描かれていたり、遊び心満載です。
私が子供の頃から持っているのは、この中部ヨーロッパ編でした。とにかく建物の隅々まで、飽きることなく眺めていましたね、、。
友達と一緒に見ても、この旅人探しで、結構楽しめました。

今でも時々子供と一緒に見ています。
建物自体は正確に緻密に表現されているのですが、安野さんの水彩画のタッチがほのぼのとしていて、いつまででも眺めていたい絵本です。

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安野さん自身も、どこか、水彩画の中から出てきたような風貌です。
安野さんは、数学の絵本や、エッシャーのような、かなりおもしろく工夫された絵の本も描かれています。


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【2007/04/10 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
ラブシーンの掟
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何回か貸し出し中で、やっと借りれた「ラブシーンの掟」(石川三千花著)です。
抱腹絶倒な切り口で、映画の数々のラブシーンを批評しています。
この本は、イラストが必ず付いているので、文字だけ読んでもこの本の
おもしろさは表現できないのですが、少しだけ抜粋、、、

「白いドレスの女」
「ブロンドのヘアをなびかせて艶やかに白いドレスを着たいい女。実はしたたかな悪女である。人妻役にキャサリン・ターナーは、今とは別人。最近の肥えた肝っ玉かあちゃんの役のターナーしか知らない人はさぞ仰天するだろう。仰天ついでに、その悪女ターナーに惑わされて彼女の夫を殺害してしまう弁護士のウィリアム・ハートの髪の毛にも注目だ。今やオバQ並みに毛が3本しかない(ウソ)ハートだが、ここではフサフサ。」

「ぼくの美しいひとだから」
「この作品は、めったに見れないリアルなセックスシーンと揺れ動く2人の心情を克明に描いていて、大人の観賞に耐えるものとなっている。相撲でいうと”心・技・体”がそろったバランスのいい作品で、スーザン・サランドンが、かなり思いきってやっているのが印象に残る。」

「マイ・ビューティフル・ランドレッ
ト」

「映画の中でホモセクシュアルな関係を描くこと自体は、今や特に珍しいことではなくなった。だが、男同士の恋愛を、ことさらドラマティックに描こうとするあまり、かえって遠巻きに見てしまうことがよくある。同性愛につきものの苦悩はあるにせよ、愛し合う2人の恋愛感情は男女のそれと変わりがないと思うのだが・・・。」

「白いドレスの女」のキャサリン・ターナーは本当に、スリムでした。今、ふと思ったのですが、「氷の微笑」のシャロン・ストーンの最初の白い服は、この「白い・・」の悪女のイメージに重ねてるのかな?2人とも金髪ですし。しかし、ウィリアム・ハートのオバQ発言は毒舌ですね(笑)。

「ぼくの美しい人だから」は、スーザン・サランドンが生活感のある女性を、違和感なく演じていて、ラブシーンも説得力がありましたね、、。

「マイ・ビューティフル・ランドレット」はこの感想のほかに、やはり、映画なのだから、ビジュアル的に耐えうる主人公と相手役であってほしい、その点、この作品には文句がない、、というようなことが書かれていました。BBMにも共通します。BBMは逆に、主人公達のビジュアルがよくて、原作よりロマンティクに仕上がってしまった、、という意見もあるそうですが。

この他、「ダメージ」のビノッシュがヘルメットへアだという、イラストもおかしかったです。ビノッシュは、この役は似合っていないと言う感想なのですが、私はビノッシュには、三島さんの本の時のモンゴメリーと同じ目線を感じます、、”どこを見ているか分からない”というような、不安な目線。だから、この役は似合っていたと思うのですが、、。
あとは、みうらじゅんさんとの対談や、ワーストドレッサー賞などのイラストも爆笑でした。
それから、異性間のラブシーンにかかわらず、同性間のラブシーンも多く取上げられていました。

イラストと共に楽しめる本です。
【2007/04/01 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
三島由紀夫映画論集成 2(日本編)
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2回目は、日本の昭和20年代の映画や俳優についての批評です。
まず、各俳優さんのことを述べたものついて抜粋します(本文はもっと長い)、、、

(山本富士子)「映画の打ち合わせで、はじめてこの人に会った時、その美しさにびっくりして、”神さまがよくもこんなよく出来た作品を作ったもんだ”とプロデューサーに話したら、いい宣伝材料に使われてしまった。まったく造化の妙を嘆ぜしめる美人である。」

(若尾文子)「若尾さんの佳いことろは、ただでさえ人工的な美しさで飾り立てられて、プラスチックみたいにピカピカしてきて、生活感も実在感もない人形になりがちだが、若尾さんはちゃんと自分のいのちの息吹を生まれたままの自然さで呼吸している。だから若尾さんの演ずる役には、リアルな生活感が失われない。」

(佐久間良子)「正直なところは、可愛いタイプの人だなと思っていた程度だった。それが「飛車角」を見て、おどろいた。あの体当たりの演技には、本当の恋の情熱がほとばしっていた。会ってみると、どこからあんなすごいエネルギーが出てくるかとふしぎなほどの大人しい美少女で、だからやっぱり女の子は油断ならんなァ。」

(藤純子)「藤純子は決して露骨なエロチシズムや、セックスアピールを振り回す女優ではない。彼女の体はいつも着物に包まれているが、その着物からこぼれる手や、唐紙をあけるときのちょっとした目づかいや笑顔のえくぼは、男の目にはまさにこぼれるばかりの色気と感じとれる。 中略
ある場合によってはジェーン・ラッセル型の巨大な乳房をひけらかした女優より、藤純子のような女優に、一層女へのあこがれをかきたてられ、強烈な色気を感ずるのである。いま私ははからずもあこがれと言ったが、色気があこがれに基づいているものならば、それはあらわに売り込んでくる色気ではなくて、人を誘い込みながら拒絶するような色気でなければならない。 中略
どこか凛然と拒み続けているようなものがなければならない。」

(長谷川一夫)「ずっと以前、京都の撮影所へ遊びに行った時、長谷川一夫氏に紹介されたことがあります。氏は丁度、銭形平次かなにかの扮装で、スタジオの入り口の椅子に腰掛けて、日向ぼっこをしながら、台本を読んでいた。プロデューサーが私を紹介すると、氏は一言も言わずに、台本から顔をあげ、坐ったままで、目で会釈をした。
御承知のとおりの、目千両の、潤んだ大きな夢をみるような目が、チラリと斜に動いて、あるかなきかの微笑と共に、こちらの顔をすっと流れた。 中略  このときの印象は正に圧倒的で、長谷川氏がその美しい目で老若のお客を悩殺するのは、これだな、とはっきり思い当たりました。正にその流し目は、「男の色気」の極致のようなものでした。」

この辺りは、私も子供の頃、よくTVで映画の再放送を、観た事のある方々で、若尾さんや、藤さんの圧倒的な美しさは、目に焼きついています。長谷川一夫さんは、役者としてのエピソード(暴漢に顔を傷つけられた)を、メイクで克服した逸話などをよく覚えています。
後、高倉健さんや、鶴田浩二さんのことも述べられていますが、三島さんは、鶴田さんのファンだったそうです。鶴田さんと三島さんの対談も収録されています。

次に三島さん原作の「金閣寺」を映画化した「炎上」においての、主演の市川雷蔵さんのことについて、、
「大映本社へ「炎上」の試写を見にゆく。 中略 白黒の画面の美しさはすばらしく、全体に重厚沈痛の趣があり、しかもふしぎなシュール・レアリスティックな美しさを持っている。 中略 俳優も、雷蔵の主人公といい、鴈治朗の住職といい、これ以上望めないほどだ。」
又、 「雷蔵丈のこと」  という項目もあり、
「ここに、醇乎たる歌舞伎役者に戻って舞台に立つ雷蔵君を、特に雷蔵丈と呼んで、敬意を表したい。私は残念ながら、大阪における武智歌舞伎時代に、世評の高かった君の「妹背の道行」の求女を見ていない。しかし、その後、映画で見る君の芸風、容姿から考えて、求女がいかに適り役であったか、想像するに難くない。目の美しい、清らかな顔に淋しさの漂う、そういう貴公子を演じたら、容姿に於て、君の右に出る者はあるまい。
君の演技に、今まで映画でしか接することのなかった私であるが、「炎上」の君には全く感心した。 中略 ああいう孤独感は、なかなか出せないものだが、君はあの役に、君の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだのであろう。私もあの「金閣寺」の主人公に、やはり自分の人生から汲み上げたあらゆるものを注ぎ込んだ。そういうとき、作家の仕事も、俳優の仕事も、境地において、何ら変わるところがない。」

「炎上」は観ましたが、白黒映像で、確かに、重い映画でした。人間の心の底の暗く、陰鬱としたものを表現されていたように思います。
雷蔵さんの演技は、この苦悩する主人公を、見事に体現されていました。

後は、淀川長治との対談で、淀川さんが「いっそ、禁色を映画化なさってはいかがですか」の問いかけなどのやりとりは興味深かったです。
最後の、大島渚さんとの対談は、思想や表現におけるかなり激しいやりとりが、読んでいて息苦しいほどでした、、。

以上ですが、実際この時代の映画をよくご存知の方なら、もっと楽しめる本だと思います。
【2007/03/20 08:00】 | | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
三島由紀夫映画論集成 1(海外編)
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「三島由紀夫映画論集成」山田由紀人編(平岡威一朗、藤井浩明監修)です。三島さんが、昭和20年代の映画や俳優ついて、論じたものを集成した本です。
かなり分厚い本なので、海外編と日本編と2回にわけて、紹介します。

以前三島さんがジェームス・ディーンについて語っていたと、情報を頂いたのですが、載っていました!それも、かなりのページに渡って、ジミーのことを語っています。(この情報を頂いた、あきさんに感謝です!)
まず、ジミーについては、対談形式で「エデンの東」についてふれています
(三島) 「学生時代、芝居をやった経験にある人は覚えがあるだろうが、手に困るでしょう。ところが、ジェームス・ディーンなんかを見ると手足がじつに自由だね。それは運動をやっていたせいもあるんだ。 中略
それから懸け方が素敵だね。動きが非常にきれいですね。」
対談相手の方が「モンゴメリークリフトに似てると思いました。」
に対して三島さんは
(三島) 「憂鬱なところがね。 中略  モンゴメリーの映画を見ていると腹が立ってくるの。じりじりしてきてね。あまりに頑張ってるでしょう、殻に閉じこもってね。ディーンのほうはそういう不自然さはないや。」
(対談相手) 「モンゴメリーは女の人とお話しているときでも、どこを見てるのか分からないみたいね。ディーンのほうは少なくともその人を見てる・・・・。」
(三島) 「性格的に受身でも押し通せる奴がいるだろう。モンゴメリーはそういうものの代表だよ。 中略 女の人がいいという映画は、たいてい受身ですよ。2枚目はたいてい性格的に受身ですね。だから、ディーンを見たあとじゃ、当分、恋人と逢っても駄目ですね(笑)。」

モンゴメリーとジミーはよく比較されていますが、モンゴメリーのほうは、つかみどころのない孤独を感じます、、ジミーが動的孤独なら、モンゴメリーは静的孤独でしょうか。モンゴメリーは、事故で顔を負傷されたんですよね、、。

次に「夭折の資格に生きた男-ジェームス・ディーン」という題で
「人生は、美しい人は若くして死ぬべきだし、そうでない人はできるだけ永生きすべきだろう。 中略 ギリシャ神話のアキレスは、名誉なき長寿か、名誉に輝く夭折か、どちらかの人生を選ばされて、躊躇なく後者を選んだ。人生のはじめにこの二つを選ばされれば、よほど散文的でな男でない限り、後者を選ぶに違いない。
自分の生涯を詩に変えること、これは誰の胸底にも潜む願いで、アレキサンダー大王も、二十歳そこそこの自分の肖像しか決して作らせなかった。 中略 アレキサンダー大王が、アキレスに心酔して、一から十までアキレスに倣おうとしていたのは有名な話である。彼も夭折の願望を抱いており、かつ自分が夭折にふさわしいことを知っていたのである。
 中略  ディーンも亦、自分の悲劇的な死に「宿命的な憧憬」を寄せていたにちがいない。そしてそれは完全に成功したのである。 中略
彼のもっていた多少衆にすぐれたセンシティヴネス、その動揺しやすい青年前期の典型的風貌、多少の神秘的性格、神経質な若い獣の身振り、傷つけられたような腕の振りよう、暗いあどけない微笑・・・こういうものはその迅速な死がなければ、確実に色褪せる筈のものであった。まして彼の職業は、俳優、それも映画俳優、という難物的職業の最たるものであった。個人芸術家のような徐々たる自己形成がどれだけ彼の未来に約束されていただろう。約束されていたのは、確実にやがて汚されるということだけであった。」

この辺り、三島さん自身もかなり、夭折に憧れをもっていたのでは、、、と思われます。この部分以外も、ジミーに関する記述はかなり多かったです。

次にアラン・ドロンのことについてですが、ドロンのことは演技というより、私生活のことに触れています
「ついに全女性の憧れの的、アラン・ドロン君も結婚しました。花嫁ナタリー・バルミテレミィは24歳の子持ちの写真家だそうで、子供は前夫との間にできた3歳になる娘だと云われています。これでロミー・シュナイダーとの世紀の恋は、あっけなく結末を告げました。 右は私がわざと映画界コラムニストの文体で書いたもので、普段の私はこんな阿呆らしい文章は書きません。ただ、アラン・ドロンの場合、彼の一挙手一投足がこういう文体に書かれるにふさわしく、その見かけ本位の文体は、いわば世界的スターという王様の、宮廷日誌の文体です。中略
第一にドロンはナルシストである。これは誰が見てもそういう印象を持つらしいが、私が第一に感心するのは、ドロンがナルシストと云われても、すこしも滑稽でないことである。つまり世界の全部が、客観的に彼の美貌を認めているのだから、もし彼自身が自分の顔がきらいだったら、却って不自然だ、と人に思わせるほど、彼が美男だということです。世間にナルシストは一杯いるけれど、まず”あの人ナルシストですって”と噂されて、笑われないような人間は稀です。つまり彼が、どんな己惚れも追いつかないほどの美貌を持っているのでなければ、ナルシストたることは、第三者にとって滑稽だからです。 中略
しかしこの純粋な肉体ナルシスムも、本来は男のものであることは、ナルシスムという言葉自体が、水に映る自分の姿に恋焦がれて溺死したギリシアの美少年ナルシスから来ている事でも明白です。 中略 そんなドロンにとって、孤独は完全に純粋であり、この世界には、自分以外の人間は本質的に重要でない。何もかも自分一人で充ち足りてしまい、自分の美しさで世界は一杯なのだから、ほかのものは何も入る余地がない。 中略 ドロンの前に現われる女は、世界の美がドロンに占領されているということき気づかず、彼女自身の美もドロンにみとめてもらいたがるだろう。しかしあくまでドロンは美をみとめられる側の人間であって、美をみとめる側の人間でなく、そんなことは彼にとって面倒くさくイヤなことにちがいない。ここまで来ると、ドロンの結婚のニュースが又特別の意味を持ってくる。ドロンの結婚相手は、美しいドイツ娘のロミー・シュナイダーではだめで、どうしても性的経験を豊かに持ち、すでに一女の母である、成熟した女性でなくてはだめだということがわかるのです。」

確かに、ドロンの美貌は、ナルシストといわれても納得です。”美をみとめられる側の人間”ですか、、俳優同士の結婚が時として上手くいかないのも、このような感じなんでしょうか、、。又、女優さんが一回りも年上の監督と結婚して、いつまでも美しく、夫婦関係もいいようなのは、この”美を・・”の関係が上手くいっている例なんでしょうね。

映画作品の批評としては「アラビアのロレンス」が興味深かかったです。ロレンスの自伝と映画の内容の相違点を指摘しています。
この年代の洋画でも、私自身が観ていないものも沢山あり、あまり分からない部分もかなりありました(焦)。

次回、日本編に続きます。

【2007/03/17 18:41】 | | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
岩館真理子
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前々回のユーミン記事のコメントレスで、私がもっとも影響を受けた漫画家を、思い出しました。

岩館真理子さんです。
高校時代以降、漫画は読まなくなりましたが、岩館さんの描く少女像が小学期から大好きでした。
岩館さんの描くストーリは、独特です。
可憐な絵とは対照的に、話自体はシュールな家族問題であったり、救いようのないような人間関係であったり。
残酷さを、美しいオブラートで包んだような感じでしょうか、、、。

主人公は髪が長く、ぼんやりとした、アンニュイな美少女が多いですが、
この岩館さんの主人公像を”甘美な外観をまといながら自己放棄の欲望が浸透している主人公”という解説があり、確かにどのストーリーも、主人公がなにか積極的に行動するのではなく、淡々と自分の置かれている状況に身をおいているようなお話が多いです。

吉本ばななさんは、岩館さんの大ファンだそうで、吉本さんの小説は岩館作品を小説にコピーしたものだという批評もあるそうです。
吉本作品は「TUGUMI」などの代表作しか読んだことはありませんが、確かに通じるものがあるのかもしれません。

岩館さん自身は、家庭不和で育ったそうで、そのせいか家族のシリアスな関係を、1歩引いたような、霞がかかったような、ぼんやりとした感じで表現されています。
岩館作品に深く共感する人は、同じような家庭不和で育った人が多いと読みましたが、私自身のことに置き換えると、そうかもしれません。

美しく、ぼんやりとした中に描かれる、人間関係の残酷さ、、、そんなところに一番惹かれるのでしょうか、、、。

世代的に、岩館真理子さんを知らない方も多いでしょうね。
最近は、時々しか作品を発表されていないそうです。もぅ


(追記)

以前竹宮恵子さんや、萩尾望都さんも読んだ、、コメントをした事があるのですが、竹宮さんは「風と木の歌」のたぶん1〜3巻をお好み焼き屋?で焼ける間に少し読んだだけで(汗)、、私より少しお姉さん世代の作品かもしれないです。萩尾さんも「ポーの一族」は読んだ事はなく、「半神」という身体の一部がつながった双生児姉妹の作品しか記憶にないんです。
「半神」は、たった16ページの短編ですが、読んだ当時号泣しました、、、凄い衝撃で記憶に残っています。以後、野田英樹さんが「半神」を舞台化されていました。姉妹、兄弟なら誰でも根底に持っているような要素を表現している秀作です。
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漫画作品は、世代が少しずれると、記憶に残る作品も違うのかもしれないですね、、。


【2007/03/10 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(18) | page top↑
花空庭園
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「花空庭園」(荒俣 宏)です。この本も秋頃読んだのですが、前回の桃の花の話で思い出しました。荒俣氏セレクトの多彩な植物の美しい手彩画と、歴史、文学に現われた花の説話などが収録されています。
以下抜粋

(薔薇)
       紅薔薇はあしもとに
       (薔薇紅くその純金の髪毛のなかに)
       ああ その胸とその帯とのあふところ
       紅き薔薇ぞ秘められたる
     <オスカー・ワイルド「王妃の愁ひ」より>
「上を向いて花弁を開くので、ユリのように下を向いたり、ジギリタスのように下へ向きながら突然頭をもたげなおすという、もってまわった咲き方をしない。その素直さが、人々に好ましい印象を与えるらしい。」

(アザミ)
        路傍に旅人の心を
        悲します枯れた
        あざみのうす紫の夢の
        ようなものが言葉につづられる
        どこかの国の夕日の空に
        たとえたのはキツイというひとの
        思い出であった
      <西脇順三郎「あざみの衣」>
「たとえばアザミは、その棘で人々や家族を守護する。昔デンマーク軍がスコットランド軍に夜討ちをかけたさい、アザミが兵士の足を刺して声をあげさせ、侵入を防いだ説話は名高い。」

(菊)  
        寂しさに秋成が書読みさして
        庭に出たり白菊の花
       <北原白秋「雲母集」>
「上田秋成の”雨月物語”を暗誦してしまえるほど愛読したのは、もう四半世紀も前のことになる。なかでも”菊花の契”が好きだった。
           中略 
菊花は重陽の節句に、酒に浮かべて飲む。邪気と病気を払い、不老長寿を得る霊薬中の霊薬といわれる。」


どのページをパラパラと開いても、豊富な図集と聞いた事もない説話など、気軽に読める本です。
荒俣氏は多彩な知識で、話が色んな方向へ飛んでいく感じはありますが、、、。
最近は「トリビアの泉」にも出演されていましたね。荒俣氏の話は本当に”へぇ〜”って感じです(笑)。
私が興味を持つ事柄を調べていると、時々、荒俣氏が出てくるので驚きます。
貪欲に、多方面の分野に詳しい方ですよね、、。
【2007/03/04 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
私と20世紀のクロニクル
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最初に訂正です、まだ本になっていませんでした(焦)。新聞連載が終わり本になったとの記事を読んだような気がしてたんですが、、、本の画像がないので、新聞の切り抜きの画像ですいません。(スタンドの下の黒い物は葛饅頭でなく、ペーパーウェイトです。なんだか葛饅頭みたいに見えるので(汗))
日本文学研究者ドナルド・キーン(角地 幸男訳)「私と20世紀のクロニクル」です。挿絵は山口晃さんで、正確なデッサン力と精緻な描写が素晴らしいです。
キーン氏が自分と日本との関わりや、戦争体験、交流のあった文学者、日本文学の翻訳における過程などを綴った回顧録です。
下記は三島由紀夫と川端康成のノーベル文学賞におけるキーン氏の感想です。

「ノーベル文学賞の順番が日本にまわってきたのは、1968年のことだった。しかし受賞者は川端康成で、三島でなかった。この最も権威ある文学賞を川端が受賞したことは、確かに喜ぶべきことであったに違いない。しかし、このことが2人の死の一因となったかもしれない。」

「私は、なぜ彼が4部作に「豊穣の海」という題をつけたか尋ねたのだった。私は当時、三島についての原稿を書いていて、その意味を間違いなく理解したいと思っていた。彼の返事はこうだった。

"豊穣の海は月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強いていへば、宇宙的虚無感と豊かな海のイメージとダブらせたやうなものであり、禅語の「時は海なり」を思ひ出していただいてもかまいません。”

まだ、私はその意味がわかったとは言えなかった。しかし私は何か不安で、不吉なものさえ感じた。「豊穣の海」に水がないのと同じように、世界はまったく意味がないものだという結論に三島は達したというのだろうか。」

「川端はノーベル文学賞の受賞を喜び、授賞式の記念講演のために「美しい日本の私」という感動的な一文を書いた。  中略
不幸にして川端はノーベル賞受賞者としての名声をさらに確かなものとするような作品を、もはや書くことが出来ないようだった。多くの作品を手掛けたが、どれも未完に終わった。
三島は川端の受賞を喜び、おそらくその気持ちに嘘はなかった。しかし、三島はノーベル文学賞の順番がまわってくる地理的要因から考えて、次の日本人の受賞まで少なくとも20年はかかることを知っていた。彼はそれまで待てなかった。」

「川端は三島の死に愕然とした。 中略
満足のゆく作品を何もかけないまま川端は、日本文学の国際的評価を高めるのに役立つような企画に打ち込んだ。彼は、1972年秋に開催される外国日本文学研究会議の発起人だった。 中略
しかし、会議がはじまる6ヶ月前に川端は自殺を遂げた。
大岡昇平によれば、ノーベル文学賞が三島と川端を殺したのだった。」

掲載文はもっと詳しく書かれてます。キーン氏は研究者としての回顧録のため終始淡々と綴っていますが、リアルタイムで2人に接していて得た感想なのでしょう。
この辺りを読んである言葉を思い出しました、、”完璧な美は生き続けることができない”、、、類稀な才能を持ったあまりか、完璧を求めるあまりか、私のような凡人には想像の及ばない感情です。
全編は戦争時の話もあり、往年のスターであるグレタ・ガルボや、伝説の歌姫マリア・カラスの話もあり読み応えがありました。
私がいちばん心惹かれた文章は下記です。

「将来は飛行機や自動車が古風な趣を帯びて郷愁を誘う対象となり、人々は個人用ロケットで宇宙を移動しているかもしれない。
幾つかのもの、たぶん一番大切なものは、同じままである。例えば「源氏物語」を読むと、そんな気がする。私達の生活が千年前の貴族の生活といかに大きく違っても、この小説が自分のことのようにわかるのは、紫式部が描いた感情の数々が私達自身のものであるからだ。
愛、憎しみ、孤独、嫉妬その他は、生活様式がいかに変わろうと不変のままである。「源氏物語」であれ「シェークスピア」であれ、昔の文学を読む大きな楽しみの一つは、時空を超えて人々が同じ感情を共有しているのを発見することである。」
【2007/02/22 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
川端康成と東山魁夷−響きあう美の世界
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作家川端康成と画家東山魁夷との往復書簡が紹介された本です。
秋頃に読みました。装丁が美しく、白地に東山魁夷の「冬華」をモデルにした樹木が浮き出す形で立体的に表現されています。(この画像だと写りません(涙))。
東山魁夷といえば、唐招提寺障壁画を思い浮かべます。
東山魁夷の絵は、日本の自然を描いたものですが、日本画の枠に収まらない霞がかかったような幻想的な絵でありながら、なにか絵の根底に温かみのようなものを感じます。
この本は、文豪と画家の魂の交流の記録です。
東山魁夷の絵も多数収められていますが、手紙の内容も、旧仮名遣いを活かした美しいものでした。以下抜粋ですが、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   拝啓
  漸く春めいてまいりました。先生はじめ皆様御健勝でお過ごしの御
  事と存じ上げます。
  先日は御著「美しさと哀しみと」御恵送下さいまして誠に有難う
  ございます。
  女人の美しさと哀しみが古都のたたずまいの中に妖しく揺れ合ふ
  有様を興味深く拝讀致しました。
            中略
  末筆ですが御令閨御令嬢様によろしく御鳳声の程願ひ上げます。
                           敬白    
   三月十七日
   川端康成先生                
                                    東山魁夷                                                                
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    拝啓
  昨日新潮社の藤井君、拙者「片腕」の御装画、山へ持参してくれまし
  て拝見。実にありがたく存じました。
            中略  
  家内も御装画を拝見し、よろしく申し上げてほしいとの事。
  奥様に何卒よろしくお傳へ下さいませ。
                         
   八月十二日
   東山魁夷様
                          
                            川端康成
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   (本では中略部分はなく、全文掲載されています。)

文学を通して日本独自の美を追求していた川端康成は、東山魁夷の画家としての純粋さに賞賛を惜しみませんでした。
又、類稀な審美眼をもつ川端康成が収集した美術品の数々も紹介されています。

川端康成は実にまめに手紙を書く人だったらしいです。三島由紀夫との往復書簡もよく知られていますが、最近読んだ本で、2人の関係に興味深い記述がありました。次回はその本を紹介したいと思います。
【2007/02/21 00:00】 | | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
ノーム(Gnomes)
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私が子供の頃に買ってもらい、今は実家から自宅に持ってきて子供達が読んでいます。画像は英語版ですが、題名はノーム(Gnomes)で、オランダの人気画家リーン・ポールトフリートと、そのお友達の科学者ヴィル・ヒュイゲンが20年に渡ってノームの生活を研究、観察した記録書です。
日本語版の訳は遠藤周作、山崎陽子、寺地伍一です。
ノームとは「地の精霊」という意味だそうで、この本では体長(帽子をぬき)15cmとなっています。昔から伝説に語りつがれてきたノームの生活や歴史上のエピソード(画家レンブラントの知人だったノームの語る内緒話など)も紹介しています。
ノームの地下の家の構造など、子供の時はわくわくして読みました。
年齢に関係なく家族全員で楽しめる巾広い絵本であり、わかりやすい瞑想の書でもあります。
大型書で縦31cm、横22cm、厚さ2cmあります。
現在日本語版は絶版なのか?検索しても出てきませんでした(涙)。
【2007/02/08 00:00】 | | コメント(0) | page top↑
はてしない物語
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最近、息子に就寝前に読み聞かせをしているのが、ミヒャエル・エンデ作(上田真而子、佐藤真理子訳)の「はてしない物語」です。
映画では「ネバーエンディング・ストーリー」でおなじみですね。
映画はこの本を読み終えてから、レンタルしてあげようと思います。
対象年齢を今見ると小学6年から、、と、、少し早かったかな(焦)。
この本は装丁が実際の本の中のお話とリンクし、あかがね色で蛇が互いの尻尾をくわえたアウリンの模様と同じです。
息子も、何度も手でなぞるようにこの蛇の模様に指を添えていました。
ファンタジー小説の秀作です。
【2007/02/04 00:00】 | | コメント(0) | page top↑
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