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女優カテゴリーで最初に記事にしたいな、、、と思っていたのは、マレーネ・ディートリッヒです。
![]() 昔から古い時代のハリウッドの女優さん達の伝記を読むのが好きだったのですが、その中でもマレーネの人生は異色で、女優というよりも、その人間性に深く魅了されてしまいました。 今回マレーネの人生を振り返ろうと参考にしたのが、「わがマレーネ・ディートリッヒ伝」(鈴木明著)です。 ![]() マレーネの人生が異色なのは、ドイツで女優として駆け出しの頃にハリウッドヘスカウトされますが、この頃はもう結婚していて、一人娘もいました。ここでジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督作品の「嘆きの天使」主演で一躍スターダムにのし上ります。この成功で、ハリウッドのスター達はそれまで「とるに足らないドイツの主婦」と思っていたマレーネが、並々ならぬ強敵であることに、やっと気がつきました。 しかしマレーネは終始一貫、 「自分にとって一番大切な存在は娘のマリアである。そのためにスターの地位を失うことがあっても、少しも後悔しない。」 と公言し、結婚していて、子持ちである事を隠そうとはしませんでした。 マレーネはスタンバーグ監督の「嘆きの天使」「モロッコ」「間諜X27」の3本でスターの地位を確立します。 彼女がハリウッドで有名になるちょうど同じ時期に、ナチスドイツが台頭してきます。ヒトラーはマレーネをプロパガンダに利用しようと、ハリウッドに使者を出しました。 「ドイツは貴女の出演映画1本に対し、5万ポンド支払う。」 という破格の条件を出します。この申し出に対して、マレーネは 「私はスタンバーグ氏との間に個人的契約を結んでいる。もし、彼のメガフォンで映画が撮れるなら、私は帰ってもいい。」 使者達が押し黙りました。追い討ちをかけるようにマレーネは 「あなたがたが黙っているのは、スタンバーグ氏がユダヤ人だから、ということを意味しているんですね。」 この当時ヒトラーには日の出の勢いがあり、有名な歴史家や、イギリス首相まで、すっかりヒトラーの事を信じていたらしいです。 マレーネがどうしてこのような冷静な判断が下せたか、、ある説では、ユダヤ人作家エリッヒ・マリア・レマルクとの交友が背景にあると言われています。 やがてマレーネはドイツ対アメリカの第二次世界大戦において、アメリカ軍に従軍し、約3年間戦火の前線で、歌手として慰問活動を続けました。しかし、わずか10年余りのアメリカ生活の彼女が、どうして祖国ドイツに背く行動をしたのか?、、この本に当時のマレーネの心情が記されていました。 「ドイツが憎いから戦っているんじゃない。ヒトラーが悪い奴だからという理由だけで戦っているんじゃない。ドイツが勝ったら、世の中は一体どうなると思うの?”あの野郎は嫌な奴だ、だから殺してしまえ!”1人の人間の言葉で、数え切れないほどの人間が機械的に無抵抗に殺されていく。そんなことが、大手をふって通る世の中がやってきたら、私達はどうやって生きていけばいいの? もしそんな連中が勝ったら、人類にはなんの希望もないのよ。人間は誰でも、自分のささやかな平和を守って暮らしてゆける権利がある。白人も黒人もユダヤ人も黄色人種も、人種が違うというだけで自分の意志に反して一方的に殺される世の中がこないことを願っている。われわれはその願いを達成するために、いま戦っている。」 この言葉でマレーネの胸の内と、その行動が少し理解出来ました。マレーネが従軍したことは有名ですが、当時ドイツに母親がいた事はこの本で初めて知り、驚愕しました。戦争が終わり4ヶ月たった頃、やっと、マレーネは母親と再会しましたが、母は痩せ衰え枯れ木のようだったそうです、、そして再会からわずか2ヵ月後に亡くなってしまいます。 戦後のハリウッドにマレーネは未練がなく、フランスに移住していたのですが、52才にして歌手として再スタートを切ります。50才の坂をこえて映画女優が歌手になった、、、というのは稀な例らしいです。 地道なボイストレーニングの後に、マレーネの代表曲「リリー・マルレーン」などを持歌にして、各地でコンサートを成功させます。 日本では70年万博の大トリとして、万博ホールにてのリサイタルにマレーネは登場しています。 ![]() 当時私はまだ生まれていませんが(汗)、大阪万博はあの岡本太郎氏の太陽の塔と、丹下健三氏のお祭り広場のトラス大屋根、、写真で見ても素晴らしい万博でした。万博の目玉として、海外の大物歌手のリサイタルがマレーネ以前に行われたのですが、大抵の大物歌手の素顔は、傲慢で尊大で神経質であったそうです。日本の風土、習慣の違いがあるとはいえ、海外歌手の我がままな態度を身にしみて味わってきた日本の関係者は、大トリのマレーネに対しては、はれものにさわるような神経の尖らせ方であったと、、、、しかし実際来日したマレーネは、拍子抜けするぐらいの気さくさで、日本関係者に対しても、常に心遣いと感謝の言葉を忘れなかったそうです。そしてステージは大成功に終わりました。 しかし、祖国ドイツでのコンサートだけは、会場前に「売国奴」「マレーネ GO HOME」と書かれた紙を掲げた一部のドイツ人達により、混乱があったそうです。ですが、コンサート会場内に詰め掛けたドイツ人達からは、割れんばかりの拍手で迎えられたと、、、。 マレーネは、生粋のベルリンっ子で、祖国ドイツを心底愛していたと思います。 数々のLPを吹き込んでいますが、当時忘れ去られようとしていたドイツの古い歌も探し出して、何曲か入れています。 このLPに収録されている「ベルリンのスーツケース」という曲の歌詞は 「私には、まだベルリンにスーツケースが置いてあります。このケースには、ベルリンの空気が入っています。これには、過ぎ去った時間が入っているのです。だから私はまたベルリンに行くのです。 パリのマドレーヌ街は素晴らしい。5月のローマも、夏のウィーンも素敵です。 でも、皆に笑われても、私はやはりまたベルリンに行くのです。何故なら、ベルリンには私のスーツケースが置いてあるから・・・・」 戦後は、祖国ドイツに帰ることもままならなくなり、上記のコンサートでも厳戒警備で挑まなければならなかったそうです。 マレーネは女優というよりも、揺るがない信念で人生を生き抜いた女性、、という印象があります。 |
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